【養老孟司さんインタビュー】 新刊「まる ありがとう」に見る人生観

解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司さんは、450万部以上のベストセラーとなった「バカの壁」(新潮新書)他、多くの著書を持つ文筆家でもあり、84歳になった今も虫の研究をライフワークとして、精力的に活動されています。 養老さんの愛猫まる(スコティッシュフォールド)のあぐらをかいたようなポーズがメディアで紹介されるとたちまち人気となり、写真集が出版されたり、NHKの番組にも出演し人気を博しました。そのまるが2020年12月、18歳(人間でいうと約90歳)で天寿をまっとうしてから約1年、「まる ありがとう」(西日本出版社)を出版された養老さんを訪ねました。


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©2021 平井玲子

解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司さんは、450万部以上のベストセラーとなった「バカの壁」(新潮新書)他、多くの著書を持つ文筆家でもあり、84歳になった今も虫の研究をライフワークとして、精力的に活動されています。
養老さんの愛猫まる(スコティッシュフォールド)のあぐらをかいたようなポーズがメディアで紹介されるとたちまち人気となり、写真集が出版されたり、NHKの番組、「ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。」「まいにち 養老先生、ときどき まる」などにも出演し人気を博しました。そのまるが2020年12月、18歳(人間でいうと約90歳)で天寿をまっとうしてから約1年、「まる ありがとう」(西日本出版社)を出版された養老さんを訪ねました。

<養老孟司プロフィール>

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1937(昭和12)年、鎌倉生まれ。解剖学者。東京大学名誉教授。幼少時から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批評まで幅広く論じる。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年刊行の『バカの壁』は450万部を超えるベストセラーとなった。2021年12月「まる ありがとう」(西日本出版社)を刊行。

【書籍概要】

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●タイトル 「まる ありがとう」
●著者 養老孟司
●発行 西日本出版社
●定価 1,200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/dp/490844367X

飼うというより、まるがラクに生きていける環境を整えただけ

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©2021 平井玲子

―「まる ありがとう」には、まるの写真がたくさん載っていますね

僕の秘書の平井玲子さんが撮ったスナップを114枚掲載しています。平井さんは、長年まるの世話をしてくれていたので、まるの自然な日常の姿が写っているんです。

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©2021 平井玲子

―まるは養老さんにとってどんな存在だったのでしょうか

僕は子どもの頃から生き物が好きで、犬や猿も飼ったことがあります。まるの前にも猫はいましたが、まるは他の動物とは違う特別な存在でした。どっしりと存在感のある猫で、あまり走ったところを見たことがないし、若い時からやんちゃもしなかったので、叱ることはなかったですね。そもそも動物は自由なのが一番幸せだから、飼っているという気はなくて、まるがラクに生きていける環境を整えるだけでした。

まるは、きょうだいの中でも一番大きくて、成長してからは7kgもありました。本当に動きもゆっくりで、なまけものだと思っていたんですが、体調が悪くなった時に調べたら実は生まれつき心臓が悪かったんですね。動くと苦しいから、じっとしていたのかと合点がいきました。

亡くなる1ヶ月くらい前に鎌倉の自宅からいなくなって、探し回って見つけて病院に連れて行ったわけですが、そのために病院通いをすることになった。それがまるにとって良かったのかはわかりません。もしかしたら、自分の最期のときを迎える場所を探していたのかもしれません。動物は自分の死期を知って、姿を消すということがあるようだから。

人は、親しい人や知っている人の死は自分事に感じるので二人称です。でも自分の死は一人称。よく考えてみると、自分の死は自分には関係ないんです。この世からいなくなるだけです。社会を作らない動物には二人称がありません。だから自分の死も自然に受け入れている。まるはこっちが勝手に二人称扱いしていますけど。

猫は言葉を持たないのに、こちらの言葉をわかっているように思えます。
人間は鯵でも鯛でも魚だと認識しますが、動物は鯵は鯵、鯛は鯛と、鯵と鯛は別物だと認識します。赤いペンで青と書いても、人間は青と読むが、動物は赤色と認識します。また、動物は音を高さで識別します。絶対音感を持っていて、高い音と低い音を感覚的に判断する。赤ちゃんはいわば動物だから絶対音感を持っているはずなんですが、言葉を覚えるとそれが消えてしまう。お父さんが低い声で「太郎」と呼ぶ、お母さんが高い声で「太郎」と呼ぶ、それを同じ自分のことだと認識できるようになることで、感覚的な第一印象が抑圧されるんです。僕は言葉を生業にしているけれど、まるに理屈を言ってもしょうがないから、だまって見ているだけ。

まるは僕のものさし

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©2021 平井玲子

―養老さんは、まるはご自身のものさしだと表現されています

まるは居心地の悪いところから立ち去り、居心地の良いところにおさまる。好きなものを食べて、寝たいときに眠る。だから気持ちが安定しているんです。人間は社会性動物だからそうはいきません。やっかいなものです。浮世の義理や仲間とのつきあいもある。まるを見ていると、ああやって何もしないでも生きていられるんだと思える。うらやましいですね。人間がそうすると、付き合いの悪い、嫌な奴だと言われますから。

今の世の中で、自分の気持ちが安定した状態に保つのはけっこう難しい。人間のような社会性動物は、相手との距離の取り方が難しいんです。だから、非社会性動物である猫と合うのだと思います。人と猫は適当な距離が保てる。社会性を全部はずしたところにいて、それでも生きていられるのが猫だから、生きることの根本をもっています。

犬は社会性動物だから家族という組織に組み込まれていきます。今、猫がブームになっているのは、人がシステム化された社会にがんじがらめになって、自由に生きたいという思いを猫に重ねているからでしょう。

まるをものさしにしていると何も追いかける必要がなくて、これでいいんだと思える。物事の本質を見られるんです。でも、まるの物差しなら仕事はゼロで、大好きなマヨネーズは100ですね(笑)。
まるは編集者たちから養老研究所の営業部長と呼ばれて、あちらこちらで紹介されていましたが、いつのまにか、僕のことをまるの飼い主、と紹介されるようになっていました。実はまるといると大きな問題があって、まるのそばにいると働く気がなくなってしまう(笑)。

現代人は知らないうちにストレスをためている

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©2021 平井玲子

―中高年でペットを迎える人が多いようです。でもいつか別れがきます

人間は社会性のある動物だから、世話をしたいんですね。子育てを終えたあと、なんとなく寂しくなったりして。自分が亡くなったあと、ペットをどうするかを考えてからでないと飼えないですが、気持ちとしては、ずいぶん先の、別れがくるときのことは考えなくていいんじゃないでしょうか。今現在、ともに生きている、ということでいいのではないかと思います。

今、若い人の自殺が増えていることが僕はとても気がかりです。大人が先回りして考えすぎるから子どもたちがつらくなってしまう。将来のことを言われすぎて、子どもが今を堪能できない。何のために生きているかわからなくなってしまうんですね。子どもに「今」を楽しませてあげないと、将来が楽しいものだとイメージできない。楽しいことがあれば、また同じことがあるのでは、と前向きになれます。10歳くらいまでの人生がつらいことばかりだと未来もそうだと思ってしまいます。

僕が子どもの頃は大好きな虫取りばかりして遊びまわっていました。社会人になって決められた枠組みの中で生きてきましたが、定年前に大学を辞めました。「このままいったら虫とりもできない」と思ったこともありますが、ストレスが多かったんですね。
僕は医学の中でも解剖学をやっていたので、自然科学という、理屈でできている世界に身を置いていたわけです。でもいくら理屈をまとめても日常生活と齟齬が出てくる。実態より意味を優先してしまうんです。理屈にしない方がいい場合もある。それは研究者として一番大きなストレスでした。

みんな知らないうちにストレスをためているんです。外から決められたルールにはめ込まれてあがいている。さかのぼってみれば、明治維新で日本社会にストレスが生まれて、西南戦争、敗戦とストレスがため込まれてきた。欧米に合わせようと社会が無理をしてきた、そのひずみが大きなストレスになっています。
僕には敗戦後すぐの出来事が忘れられません。小学校2年生だったのですが、先生の指示通りに教科書に墨を塗るんです。今まで教えられていたことをあっさり否定されて、子ども心に常識ってどういうことなんだろうと思った。
30代までの死因のトップが自殺なんて、なぜ子どもや若者が自殺しないといけないのか。そんな社会でいいのか。なぜそんな社会を作ってしまったのか・・・。

世代間の連続性がなくなった

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©2021 平井玲子

―社会の変化は家族にどんな影響をもたらしているのでしょうか

かつては年長者の面倒を見るのが当然だと考えられていました。ところが団塊の世代くらいからは、老いたら子どもに迷惑をかけたくないと、自分のほうから関係を切ってしまう傾向があります。それは僕はあまりいいことだとは思いません。そんなものはお互いさまで、順送りでしょう。最後に迷惑をかけるのは仕方がないことで、関係を切ったらすっきりするというものではありません。残された人に後悔が残ります。昔の人はそれをよくわかっていていつか自分も行く道だからと順送りでやっていたんです。

昭和、平成、令和ときて、世の中ががらっと変わり、人生は自分だけで完結するものだと考えるようになりました。でも、それってちょっと違うんじゃないかと思うんです。
マンションが狭いから仏壇と神棚が家庭から消えました。別になくなってもいいんだけど、過去が消えると未来も消える。死に対して現実性がなくなってきました。年寄りはそういうことを教えて次の世代につないでいかないといけないんです。

子どもに家事や社会のことを教えないというのは、僕らの世代から始まりました。敗戦で社会の価値観をがらっと変えられたところに、家の中に掃除機が入ってくる、冷蔵庫が入ってくる、生活が便利に変わりました。それ自体は悪いことではないけれど、伝えるべきことが揺らいできました。
「変わる家族変わる食卓-真実に破壊されるマーケティング常識」(岩村暢子著)という本があります。40代の主婦の朝食のテーブルを1週間撮影してもらったものです。インタビューでは「伝統的な和食を家族に食べさせたい」と答える主婦が半分以上いたのに、実際の写真と違う、その矛盾点を調べていく。この調査の結論が面白くて、日本の主婦の半数は言っていることと現実が違うんです。
そのお母さんを調べると、子どもたちに料理をはじめとする家事を教えていない。嫁いだ娘のところに行って料理を作ったり、面倒を見ている。このお母さんたちは僕と同じ世代なんです。僕らの世代がなぜ、子どもをしつけなかったか、それは戦後の民主教育のためで、押しつけはいけない、自主性を重んじろ、というのを解釈できていなかった。それとは無関係に育ってきたのが僕らの一世代下の団塊の世代、戦後教育だけを受けた人たちです。育った時代がずれると常識がずれるんですね。
時代が大きく変わり、世代によって考え方が違いすぎて一般論がやりづらくなりました。だんだん個を大事にするようになって、それはいいんですけれど世代間の連続性がなくなってきました。

今は昔のように、ほうきで部屋を掃除する人はいません、ほうきでやれといっても無理で、掃除機どころかお掃除ロボットになっちゃう。そういうところで無理して苦労することはないんですね。昔の家事は労働だったから、カラダを動かすことが必要でした。日常生活の中に組み込まれた必然性のあるカラダの使い方があったんです。今はそれがないから運動不足で、ジムに行ったりするんですね。

人間は言葉が使える、お金が使える、相手の立場をおもんぱかれる、つまり交換ができる。それを動物はやりません。ただ、そういう人間の特徴は感覚を抑圧するんです。だから、自分の感覚を開いてあげる必要がある。でもこれにも問題があって、感覚的にものごとを扱っていくと、社会とは絶対に折り合わない(笑)。

まるが気付かせてくれた「足るを知る」こと

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©2021 平井玲子

―まるがいなくなった今、思われることは?

最近僕は「自足」という言葉を使います。自分で必要を満たす、自ら満足する、という意味です。つまり「足るを知る」ということで、まさにまるはそれを知っているのではないかと思うのです。脳のドーパミン系のシステムには、欲しいものが満たされると、ますます欲しがる傾向があります。環境破壊を抑えたり生物が共存していくために、「足るを知る」ということはとても重要です。自分が生きていくために必要なものがあればいい、居心地のよい状態でいられる環境があればいいんです。本来人間は、自分がどんな状態で落ち着き、安定していられるのかを知っていたはず。今それがわからなくなっています。心のゆとりがないんですね。

まるを見ていると、気になることがあると様子を見にきて、すっといなくなる。必要のない喧嘩はしない、余計なことを考えず、自分を居心地のよい状態にもっていっていた。「足るを知る」生き方を実践していました。まるはどう思っていたかはわかりませんが(笑)。だからまるはものさしなんです。

僕とまるはお互いにべたべたした関係を好みませんでした。亡くなって1年経って、今はもういない、ということで納得しています。でも、まるが出入りしていた玄関の引き戸を少し開けておいたり、いつも寝ていた場所に自然に目がいったり、そんな習慣はあまり変わっていませんね。その空間から何かが抜けたまま・・・それは自然に消えていくのかもしれません。

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©2021 平井玲子

まるとの日常が本としてまとまったことはうれしいことです。パラパラと写真を見たりしています。まるがA4くらいの大きさの箱に入って足がはみ出ている写真なんか好きですね。あと庭の写真で端っこにまるがいるのも。
まるがどういうつもりだったかはわかりませんが、「みんなが“まる状態”になれば、まさに世界は平和だろう」そう思います。

取材/写真(一部):松田きこ
写真提供:平井玲子(養老孟司秘書)
取材協力:西日本出版社 http://www.jimotonohon.com/